視聴コーナー
You Tube浜田真理子公式チャンネル
≫詳しくはこちら
コンサート情報
■浜田真理子 TOWN GIRL BLUE
2017/4/13(木)
Billboard Live TOKYO (東京都)
[出演]
浜田真理子/Mariko Hamada(Vocals,Piano)
服部正美/Hattori Masami(Drums,Percussions)
加瀬達/Toru Kase(Bass)
檜山学/Manabu Hiyama(Accordion)
[一般発売]
2017/2/21(火)10:00〜

■うたの女子会
浜田真理子〜畠山美由紀〜市川愛コンサート
2017/6/4(日)
高松オリーブホール (香川県)
[一般発売]
2017/3/1(水)10:00〜

≫チケットのお申込みはこちら

CD/DVDを買う
このごろ訃報ばっかりだ。2月に父が亡くなって、そろそろ元気を出して行こうと思っていた矢先に遠藤ミチロウさんの訃報が届いた。令和に入ってすぐにこのニュースがSNSに流れ愕然とした。闘病中なのは知っていたけれどミチロウさんのことだからきっとまた元気になって私たちの前に顔を見せてくださるだろうと思っていた。それなのに。ミチロウさんは令和の世を見ることができなかった。

20130916_MatsueB1_05.jpg

ミチロウさんとわたしはそう古いお付き合いではない。東日本大震災の後、ミチロウさんが大友良英さんと詩人の和合亮一さんと始められた「プロジェクトFUKUSHIMA!」を応援する形で2013年に「スクールMARIKO」を立ち上げた。震災後、原発事故後の福島を同じ原発立地地である松江から何か支援、応援をしたいと思ったのはよいが、実際にどうしたらよいかわからずにいたら、福島にコンサートに行ったときにお世話になった森彰一郎さんが福島に立ち上がった「プロジェクトFUKUSHIMA!」のことを教えてくださった。

「スクールMARIKO」は松江で開催する松江の市民を対象とした勉強会としようと決めた。島根から福島へはどうしたって遠い。通って何かするということが難しい。けれど何かしたい。そんな悶々とした思いを抱えている人はたくさんいるだろう、そして、同じ原発立地地としてこのような事故を二度と起こさないように、まずは何が起こってその後どうなっているかをみんなと一緒に考えようという気持ちだった。それまで原発のことなど全く考えたことのなかったわたしだから、にわかのそしりは免れないと思ったけれど、それでもやらないよりはましだと思ってつたないながらに勉強会を運営してきた。まじ、柄じゃないと思ったけど敬愛する大友良英さんの活動を見ていて学ぶところも大きかった。

20130815_FestivalFukushima_04.jpg

2013年の夏、プロジェクトFUKUSHIMA!が開催した盆踊りのフェスにわたしは参加した。ライブでは「教訓1」を歌った。夕方から夜にかけての盆踊りの時にはミチロウさんが高い櫓の上に立って雄叫びをあげた。そのかっこよかったこと。

その年スクールMARIKO初年度には、大友良英さんはじめ、7人のゲストを毎月松江に呼んでお話を聞いた。それぞれの視点から語られる福島の今にみな衝撃を受けた。9月の最終回のゲストはミチロウさんだった。

20130915_SchoolMariko2013Vol6_01.jpg

初年度のスクールMARIKOのスタッフは4人で、ゲストにミチロウさんが決まってみんなでネットを見てどんな方だろうかと調べた。豚の内臓を客席に投げる、とか、過激なパフォーマンスのことやパンクのカリスマと書かれているのを見て、「ハマダさん、この方こわい方でしょうか」とおびえた様子でスタッフに聞かれ、そんなことわたしに聞かれたってわたしだって緊張しとります。と思って、福島の森さんに連絡していろいろ教えてもらった。ほんとのところはどうなんですか、ミチロウさんてこわい人なんですか。森さんの「ぜんぜんこわくないですよー、(天然で)ギャグはスルーされるけど」という話に半信半疑であった。

その後、夏だったか、まさに、スクールMARIKOのミチロウ回のミーティングを喫茶店でしているとき、「森さんがミチロウさんはこわくない人だって言ってましたよ、」なんて話してるとき、チリリンとドアの開く音がして入ってきたのがミチロウさんだったときには驚いてさすがに目が点になった。たまたま松江でのライブに訪れていたミチロウさん、ホテルで借りたレンタル自転車で町をぐるぐる回って遊んで、いや、パトロールしていたようだ。しかも、ソフトクリームをなめながら!

ソフトクリームのせいで喉がかわいてふと立ち寄った喫茶店にわたしたちがいた、なんて、ちょっとできすぎな感じだが、そこはミチロウさんが泊まってらしたホテルの近くだったという嬉しい偶然だった。わたしが、「あ、ミチロウさん!」と駆け寄って声をかけて、「ハマダマリコです。それからこの人たちは、スクールMARIKOのスタッフたちです」と紹介したら、ミチロウさんは「ああ」と言ってわたしたちのテーブルに来られて、ハンチングをとって一礼された。「こんにちは。遠藤ミチロウです。今回はお世話になります」と言われなんかものすごく過激な人だと思っていたみんなは拍子抜けしてへなへなになった。さっきまでYouTube見てびびっていたわたしたちと、一緒に珈琲飲んで歓談して、ミチロウさんが終始敬語で話してくださるので恐縮しっぱなしだった。

スクールMARIKOの初年度、何もわからない中で少ないスタッフと共に開催して最終回にトークゲストとしてミチロウさんをお迎えできたのはとても嬉しいことだった。ミチロウさんにはトークのあと、3曲だけ歌を歌っていただくことをお願いした。「ハマダさん、今日はトークのあとの3曲ということなので、メイクをしないつもりですが、大丈夫ですか?」とわざわざ聞いてくださった。「そんな、大丈夫ですよー」と言うと、ミチロウさんはうなずいて、「それから今日は年配の方も見えているようですが、何か言ってはいけない言葉とかありますか?」と気を遣ってくださった。その質問の意味があんまりわからず「え?なんでも大丈夫です」と言ったらミチロウさんは静かにうなずいて「わかりました」と言われた。

20130915_SchoolMariko2013Vol6_04.jpg

で、「せーっくす、せーっくす、」から「ふぁーっく、ふぁーっく、」から「お前らやりてえかー」から、歌われました笑。80代の女性がいらして、口をぽかんと開けて見ておられたのが忘れられない。ミチロウさん、言ってはいけない言葉はありますかって、なんで聞いたんだろう。

20130916_MatsueB1_08.jpg

20130916_MatsueB1_07.jpg

その後、対バンをすることになったり、わたしがミチロウさんの「カノン」に感激してカバーするようになったり、一緒にフェスに出たり、「ええじゃないか音頭」を歌ったり、ミチロウメイクをしたり、いろんなところでご一緒することになった。松江に来られるときは一緒にやりませんかと声をかけてくださった。「さつきの憂うつ」を歌ったら「ハマダさんはなんだか僕のお姉さんみたいだなあ」と言われた。えーやだ、すごく年下だのに笑、ってそのときは思った。それから森さんに「ハマダさんのジャンルは『しんみりパンク』ですね」と言われたことをミチロウさんに言ったら笑っておられた。

20160512_YonagoOneMake_02.jpg

20130916_MatsueB1_10.jpg

猫を愛する優しい人だった。どうして豚の内臓なのかと聞いたら、「骨のついているのは、客席から投げ返されたら痛いから」と言っておられた。まじか。最後にお会いしたのは島根県の隠岐の島、海士町のアマフェスだった。ミチロウさんは杖をついておられた。少し元気がなさそうで心配だった。ステージには西日が容赦なく強く当たり、酷暑の7月それも一番暑い時間帯にミチロウさんは出て歌われた。もう立って歌うのはきついと座って歌われた。200%くらいの力で歌われる姿を見てそこにいた誰もが勇気づけられ、励まされ、涙した。

20180715_AmaFes_03.jpg

20180715_AmaFes_06.jpg


なんか、うまく書けないな。今日も思い出語りでごめんなさい。悲しくなってきたのでもうこのへんで風呂入って寝ます。
ミチロウさん、さようなら。また会う日まで。ハマダはもう少ししんみりパンクしてからそちらへ行きます。

IMG_1130.JPG
2019-05-06 22:43 この記事だけ表示   |  コメント 5